目次
  1. 序章
  2. 第1章 映画配給業界の全体像
    1. 1-1. 映画配給の仕組み
    2. 1-2. 映画産業を取り巻く環境変化
  3. 第2章 映画配給業界におけるM&Aの背景
    1. 2-1. コンテンツ獲得競争の激化
    2. 2-2. デジタル配信への対応
    3. 2-3. 市場のグローバル化
  4. 第3章 映画配給会社におけるM&Aの目的とメリット
    1. 3-1. 規模の経済によるコスト削減
    2. 3-2. コンテンツラインナップの拡充
    3. 3-3. バリューチェーンの垂直統合
  5. 第4章 映画配給におけるM&A手法の特徴
    1. 4-1. フレンドリーM&Aとホストile M&A
    2. 4-2. TOB(株式公開買付)の活用
    3. 4-3. 合併による組織統合
    4. 4-4. JV(ジョイントベンチャー)との違い
  6. 第5章 映画配給会社M&Aの課題・リスク
    1. 5-1. 企業文化の衝突
    2. 5-2. 過剰な債務負担
    3. 5-3. 規制当局の審査
    4. 5-4. ブランド価値の毀損リスク
  7. 第6章 映画配給業界の主なM&A事例
    1. 6-1. ディズニーによるフォックス買収
    2. 6-2. アマゾンによるMGM買収
    3. 6-3. 中国資本によるハリウッド・スタジオ買収
  8. 第7章 成功するM&Aに必要な要素
    1. 7-1. 明確な戦略ビジョン
    2. 7-2. 文化統合と人材マネジメント
    3. 7-3. 財務リスクの管理
    4. 7-4. 規制対応
  9. 第8章 M&A後の統合プロセス
    1. 8-1. PMI(Post-Merger Integration)の重要性
    2. 8-2. ブランドとレーベルの扱い
    3. 8-3. シナジー効果の検証
    4. 8-4. 人材育成と継続的イノベーション
  10. 第9章 今後のトレンドと展望
    1. 9-1. ストリーミングサービスによる再編の加速
    2. 9-2. 地域密着型配給会社の統合
    3. 9-3. IPビジネスとの融合
    4. 9-4. メタバースやVR領域への進出
  11. 第10章 まとめと今後の課題

序章

映画配給業界は、エンターテインメント産業の中でも特に重要な役割を担っている業界の一つです。映画が制作される過程で、製作会社が実際に映画を作り上げますが、完成した作品を公開し、興行収入や配信収益などのビジネス面で成功させるためには、配給会社の働きが欠かせません。映画配給会社は作品の上映権を管理し、劇場への配給、各種宣伝プロモーション、上映スケジュールの調整、さらにはストリーミングサービスやテレビ放映などの2次利用・3次利用のライセンス管理を行います。

一方で、近年の映像コンテンツ産業は、劇場以外の領域、すなわちOTT(Over the Top)サービスと呼ばれるストリーミング配信事業者や、映画以外のエンタメ要素との競合が激化してきました。NetflixやAmazon Prime Video、Disney+など、大手配信プラットフォームの台頭は、映画の視聴形態を根本から変化させています。このような環境下で、映画配給会社が従来のビジネスモデルだけで収益を伸ばすことは難しくなりつつあります。

こうした変化に対応するため、映画配給業界においてもM&A(合併・買収)が活発化してきました。ある会社は規模を拡大して市場のシェアを獲得することを狙い、またある会社は自社に不足している機能やコンテンツライブラリー、デジタル配信技術を持つ他社との統合を目指しています。本記事では、その背景や手法、メリット・デメリット、実際の事例などを紹介しながら、映画配給業界のM&Aについて多角的に掘り下げていきます。


第1章 映画配給業界の全体像

1-1. 映画配給の仕組み

映画配給は、映画製作会社から作品の配給権を取得し、その作品を劇場などの興行先に供給するビジネスモデルです。基本的には以下のような流れになります。

  1. 映画製作会社(スタジオ)
    映画を企画し、監督・俳優などのクリエイターを招聘して作品を製作します。大手スタジオ(ハリウッドのメジャースタジオなど)は、自社内に配給部門を持つことが多いですが、中小の製作プロダクションは作品を完成させたのち、配給会社に配給権を売る・委託する形をとります。
  2. 映画配給会社
    映画の宣伝・マーケティングを手がけ、劇場との交渉や上映スケジュールの調整を行います。また、作品の上映権を管理し、ストリーミング配信やテレビ放映、DVD・Blu-ray化、その他のライセンスビジネスを通じて、作品の収益最大化を図ります。
  3. 劇場(興行会社)
    配給会社と契約し、作品の上映を行います。興行収入は配給会社と劇場側で取り分を決め、上映期間中の売上が双方の利益源となります。

さらに近年は、映画配給会社が自社のグループ企業として配信プラットフォームを運営したり、逆に配信プラットフォーム運営企業が映画配給部門を傘下に収めるといった垂直統合が進んでいます。これにより、製作から配給、上映(あるいは配信)までを一気通貫で行う体制を構築しようとする動きがみられます。

1-2. 映画産業を取り巻く環境変化

映画産業の消費スタイルは、劇場鑑賞からオンデマンド配信、さらにはスマートフォンやタブレットでの視聴など、多様化が進んできました。コロナ禍の影響で一時的に劇場業界が大打撃を受ける一方、Netflixなどのストリーミングサービスが大躍進を遂げています。この流れはポスト・コロナでもある程度持続しており、劇場と配信のハイブリッドな形が映画ビジネスの新しい常識になりつつあります。

その結果、配給会社にとってもビジネス構造の変革が必須となりました。従来は劇場公開に向けた宣伝活動が最大の課題でしたが、今では作品の多面的な利用(サブスク配信、インターネットレンタル、テレビ放映、グッズ展開など)から得られる収益をトータルで最大化する戦略が求められています。こうした要因は、映画配給会社同士、あるいは配給会社と他分野の企業との提携やM&Aを促進する大きな動機となっています。


第2章 映画配給業界におけるM&Aの背景

2-1. コンテンツ獲得競争の激化

映像コンテンツの需要が増大する一方、優れた作品や人気IP(知的財産)をいかに確保するかが各社にとっての至上命題となっています。特に、世界的にヒットするような大作映画や人気シリーズを押さえることは、企業の収益だけでなくブランドイメージの強化にも直結するため、激しい競争が繰り広げられています。

そのような状況で、人気IPを保有する会社をまるごと買収したり、コンテンツライブラリーを豊富に保有する企業同士が合併したりするケースが増えています。M&Aにより作品ラインナップを拡充できれば、劇場興行と配信を含む多様なビジネスモデルが強化され、市場での競争力が高まります。

2-2. デジタル配信への対応

劇場公開だけでなく、オンデマンド配信やサブスクリプションサービスの影響力が拡大していることは、既に述べた通りです。これらのプラットフォームは、世界中の視聴者に直接コンテンツを提供できるため、規模の経済が働きやすく、豊富な資本力を背景にコンテンツを大量に調達しようとします。こうした配信プラットフォームへの対応策として、配給会社が配信プラットフォームを傘下に収める、あるいは配信技術やデジタル著作権管理に強みを持つ企業を買収する動きが顕著です。

また、新興のIT企業や配信サービス企業が、映画配給会社を買収してしまう例もあります。これにより、企画・製作から配給、最終的な視聴者への提供までを一手に担う完全垂直統合モデルを構築できるため、ビジネス上のリスクを分散しながら利益の最大化を図れるのです。

2-3. 市場のグローバル化

映画ビジネスはグローバル化が進んでおり、ハリウッドをはじめとするアメリカ映画市場だけでなく、中国やインドといった巨大市場の台頭が目覚ましいです。さらにヨーロッパや中南米でも地域性を活かした映画ビジネスが活発化していることから、ローカル市場同士を結びつけるM&Aの機会が増えています。

たとえば、欧州の配給企業がアジアの大手配給会社と合併することで、双方の持つ地域マーケットにおける優位性を生かし、国際的にコンテンツを流通させる体制を築くことが可能になります。世界各地のローカルな配給ネットワークを有する会社を買収すれば、一気にグローバル展開を図れるのです。


第3章 映画配給会社におけるM&Aの目的とメリット

3-1. 規模の経済によるコスト削減

映画配給は、大規模な宣伝・広告、劇場との交渉、各国でのライセンス手続きなど、非常にコストがかかるビジネスです。複数の企業が合併・買収を通じて一体化すれば、共通の業務を集約しコストを削減できるメリットがあります。たとえば、以下のようなコスト削減効果が期待できます。

  1. 宣伝部門の統合
    作品ごとの宣伝戦略は異なるにせよ、広報スタッフや広告代理店との契約など共通項目は多岐にわたります。同一グループ内でこれらを統合すれば重複を削減し、大規模広告契約によるボリュームディスカウントなどを得やすくなります。
  2. 劇場チェーンとの交渉力強化
    配給作品の本数や人気度が増えれば、劇場チェーンとの配給交渉で有利になれます。自社グループ全体で有力作品を複数まとめて提供できるため、興行会社からの優先的な上映枠確保や上映スケジュール面でのメリットを得やすくなります。
  3. 各種ライセンス管理の一元化
    ライセンスビジネスに関わる契約事務や著作権管理のフローを統合できることで、煩雑な業務を効率化し、人員を削減・再配置できます。

3-2. コンテンツラインナップの拡充

M&Aは、単に規模を大きくするだけでなく、コンテンツの多様性を高めるための重要な手段でもあります。ある企業が保有する映画ライブラリーと、別の企業が保有する映画ライブラリーを統合することで、一気に作品数やジャンルが増え、顧客への訴求力が高まります。たとえば、ホラー映画に強みを持つ配給会社と、ファミリー向けアニメに強い配給会社が合併すれば、顧客層の拡張とブランドの多角化が期待できるでしょう。

特にストリーミングサービスやテレビ放映向けのコンテンツ需要が高まる昨今では、大規模なコンテンツライブラリーを保有することが長期的な競争力の源泉となっています。映画配給会社が自前で製作部門を持たないケースでも、買収や合併によって大量の作品権利を手に入れられる点は大きな魅力といえます。

3-3. バリューチェーンの垂直統合

映画ビジネスは、企画・製作、配給、上映(あるいは配信)といった一連の工程によって成り立っています。通常、これらの工程を別々の企業が担うケースが多いですが、M&Aを通じて垂直統合を進める動きがみられます。たとえば、製作会社が配給部門を買収したり、逆に配給会社が映画製作スタジオを傘下に入れたりすることで、ビジネス全体をシームレスにつなぐことが可能です。

垂直統合のメリットとしては、以下の点が挙げられます。

  1. プロジェクトリスクの分散
    製作と配給を単一のグループ内で行えば、作品ごとのリスクを全体で補完できるため、収益の安定化が期待できます。
  2. 意思決定スピードの向上
    外部企業とのライセンス交渉や契約手続きが不要になるため、新規プロジェクトの立ち上げがスムーズになります。作品の公開時期やプロモーション戦略をグループ内で一元的に決定できる点も大きいです。
  3. 収益構造の安定化
    興行収入だけでなく、配信やグッズ化などあらゆる収益源をグループ全体で管理できるようになり、中長期的な利益計画が立てやすくなります。

第4章 映画配給におけるM&A手法の特徴

4-1. フレンドリーM&Aとホストile M&A

M&Aには大きく分けて、経営陣同士の合意に基づくフレンドリーM&Aと、買収側が一方的に株式を買い集めたり、買収提案を突きつけたりするホストile M&Aがあります。映画配給会社においては、企業文化やクリエイティブ関連の組織特性を尊重するため、フレンドリーM&Aが多い傾向にあります。

しかし、近年のメガ・プラットフォーマー(IT企業など)の映画会社買収では、資本力を背景に強引に買収を進めるケースもないわけではありません。とはいえ、映画配給はパートナーシップや製作会社との信頼関係が重要になるため、ホストileな買収は業界全体から敬遠される面もあると考えられます。

4-2. TOB(株式公開買付)の活用

証券市場に上場している配給会社を買収する場合、TOB(Take Over Bid)と呼ばれる公開買付が利用されます。買収側が対象企業の株式を一定期間、一定価格で買い取り、その結果が買収成立要件を満たすとM&Aが成立します。映画配給会社の場合も上場企業であれば、この手法が一般的です。TOBを活用することで、短期間で株主から株式を集めやすく、スピーディーに買収が進むメリットがあります。

4-3. 合併による組織統合

合併は、複数の企業が新たに一つの企業になる手法です。映画配給業界においては、同規模程度の企業同士が合併する「対等合併」や、大手配給会社が中小企業を吸収合併するケースなど、多様な形態があります。合併後の新企業は両社の経営資源を統合し、経営権の配分やブランドイメージの再構築が行われます。ただし、企業文化の衝突など、合併後のマネジメントが難しい側面も無視できません。

4-4. JV(ジョイントベンチャー)との違い

M&Aと混同されがちなものに、JV(ジョイントベンチャー)があります。JVは特定のプロジェクトや目的のために複数企業が共同出資して設立する新会社のことで、完全に統合されるM&Aとは異なります。映画配給業界では、特定国の配給権取得や、特定ジャンルの作品ラインナップ強化など、ある程度期間限定・目的限定で協力する場合にJVが用いられることがあります。一方、M&Aは恒久的な所有権移転を伴うため、企業規模や経営戦略上のインパクトが大きく異なります。


第5章 映画配給会社M&Aの課題・リスク

5-1. 企業文化の衝突

映画ビジネスはクリエイティブ産業でもあるため、企業文化やマネジメントスタイルにおける差異が大きく、M&A後の統合がスムーズに進まない場合があります。たとえば、ハリウッドの大手配給会社とヨーロッパの独立系アート系映画配給会社が合併した場合、経営方針や作品選定の基準が大きく異なるため、クリエイターやスタッフが混乱する可能性があります。こうした企業文化の統合には時間と労力がかかり、その間に競合他社に遅れをとってしまうリスクがあるのです。

5-2. 過剰な債務負担

M&Aは大きな資金調達を伴うことが多く、買収側の企業が多額の借り入れを行って買収資金を用意するケースも少なくありません。レバレッジド・バイアウト(LBO)のように、買収資金の大部分を借り入れで賄う手法は、M&A成立後の企業に大きな債務負担をもたらします。映画配給業界はヒット作の興行成績に左右される要素が強く、期待ほどの収益を得られないと財務リスクが一気に高まる可能性があります。

5-3. 規制当局の審査

大規模なM&Aでは独占禁止法や競争法などの規制当局の審査が必要となります。映画配給業界は寡占化が進みつつあるともいわれ、特定の配給会社が市場を支配する状況が生まれると、公正な競争が損なわれる恐れがあります。アメリカなどでは、司法省や連邦取引委員会(FTC)などの厳しい審査を受け、場合によってはM&Aが却下されたり、条件付き承認(特定部門の売却など)となる場合もあります。

5-4. ブランド価値の毀損リスク

映画配給会社は、作品ラインナップやクリエイターとの関係性によって独自のブランドを築き上げていることが多いです。M&A後に経営方針が大幅に変更されたり、配給作品の質が低下したりすると、長年培ってきたブランド価値が毀損するおそれがあります。特に、ファンや業界関係者が「買収によって特色が失われた」と感じる場合、積み重ねてきた信用を一瞬で失う可能性もあるので注意が必要です。


第6章 映画配給業界の主なM&A事例

6-1. ディズニーによるフォックス買収

ウォルト・ディズニー・カンパニーによる21世紀フォックスの買収(2019年)は、映画業界史上でも非常に大きな話題となりました。ディズニーはマーベルやピクサー、ルーカスフィルムなどを立て続けに買収し、巨大なIPポートフォリオを形成してきましたが、フォックス買収によってさらに膨大なコンテンツライブラリーを手に入れています。

とりわけ重要なのは、フォックスが持つ映画やテレビ番組の権利で、配信サービス「Disney+」のカタログ強化に大きく寄与しました。反面、買収後の人員整理や映画部門の再編が行われ、フォックスが長年培ってきた多様性や独立系作品へのサポート体制がどう変化するかといった懸念も生まれました。この事例は、大手スタジオによるコンテンツ支配の象徴的な例といえます。

6-2. アマゾンによるMGM買収

2021年に発表されたAmazonによるMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の買収も、映画配給業界のM&Aとして記憶に新しい案件です。MGMは『007』シリーズをはじめ、数々の名作ライブラリーを保有しており、その膨大なコンテンツ資産がアマゾンの配信事業を強化すると期待されました。アマゾン・プライム・ビデオはNetflixなどのライバルとの競争が激化している中、魅力的な独占配信コンテンツを獲得することで差別化を図っています。

MGMの買収にあたっては、アメリカや欧州の規制当局からの審査が行われましたが、最終的に買収は承認されました。これにより、アマゾンは映画配給業務だけでなく、自前のスタジオ機能と組み合わせることで、製作から配給・配信までを一貫して行う巨大エンターテインメント企業へと進化しています。

6-3. 中国資本によるハリウッド・スタジオ買収

2010年代以降、中国の大手企業がハリウッドの映画配給会社やスタジオへの投資・買収を活発化させたことも注目に値します。ワンダ・グループ(万達集団)によるAMCシアターズの買収は劇場チェーンの話題ですが、配給面でも中国資本がハリウッド作品の国際展開を後押しするケースが増えています。中国市場の巨大さを背景に、ハリウッド側も中国企業とのパートナーシップを強化したい思惑があり、中国企業はハリウッドの技術やブランド力を取り込んで国際的な影響力を拡大したいという狙いがありました。

しかし、近年は規制強化や米中関係の変化により、中国企業による積極的な買収案件はやや減少しているといわれています。それでも、中国市場の魅力は依然として大きく、ハリウッドのスタジオにとっても中国の配給会社との連携は無視できない要素となっています。


第7章 成功するM&Aに必要な要素

7-1. 明確な戦略ビジョン

映画配給会社のM&Aが成功するためには、「なぜ今、この企業を統合する必要があるのか」という戦略ビジョンが明確であることが重要です。単なる規模拡大や話題性を狙うだけではなく、コンテンツライブラリーの拡充配信プラットフォームとのシナジー国際市場への進出など、具体的な目的が示されていないと、統合後に方向性が定まらず、経営の混乱を招きます。

7-2. 文化統合と人材マネジメント

M&Aの過程では、組織文化の違いや、人事評価・報酬制度の違いなど、多くの課題が生じます。特に映画配給業界は、人材が資産と言われるほど個人のコネクションや専門知識が重要な世界です。クリエイターや製作者との関係を維持しながら、新たな経営体制にスムーズに移行するためには、両社の文化を尊重しつつ、共通の目標やビジョンを共有するリーダーシップが不可欠です。

7-3. 財務リスクの管理

買収資金の調達と、M&A後の統合コストを正確に見積もり、計画的にコントロールすることも成功の鍵となります。過度なレバレッジによる買収は、経営が不安定になり、作品の投資余力が奪われるリスクがあります。映画配給業界では、1本の作品の成功・不成功が企業の業績に大きな影響を与えかねないため、適切なリスクマネジメントが求められます。

7-4. 規制対応

大規模M&Aの場合、独占禁止法や競争法の審査に時間を要する可能性が高いです。特にコンテンツ市場は寡占を警戒されやすい分野でもあるため、法的リスクを踏まえて事前にシミュレーションを行い、当局との協議を慎重に進める必要があります。条件付き承認の場合は、一部の事業売却などを行う可能性もあるため、そのシナリオまで考慮しておかなければなりません。


第8章 M&A後の統合プロセス

8-1. PMI(Post-Merger Integration)の重要性

M&Aが成功裏に完了しても、その後のPMI(Post-Merger Integration:統合プロセス)に失敗すると、本来期待されるシナジー効果が得られないまま終わってしまいます。PMIでは、組織構造の再編、業務フローの統合、人事配置の最適化、ITシステムや契約管理の一本化など、多岐にわたる課題に同時並行で取り組むことになります。映画配給会社の場合、作品単位での契約管理やマーケティング戦略が複雑化しがちなので、統合計画を綿密に策定しておく必要があります。

8-2. ブランドとレーベルの扱い

映画配給会社は企業名そのものがブランドである場合が多いため、M&A後にブランドをどのように扱うかは重要な課題です。合併による新ブランドを立ち上げるのか、それとも既存ブランドを残して複数レーベルの形で展開するのかといった戦略面での判断が求められます。大手企業の傘下に入った場合でも、独立系レーベルとして運営を継続することがファンやクリエイターからの信頼を維持するために有効となる場合があります。

8-3. シナジー効果の検証

M&Aによって期待されたシナジー効果(コスト削減、収益拡大、コンテンツラインナップ強化など)が実際にどの程度発揮されているかを定期的に評価する仕組みづくりも重要です。特に映画配給業界ではプロジェクトごとに収益を分析しやすいという特徴がありますので、作品単位での費用対効果を比較検証しながら、統合効果を客観的に把握していくことが求められます。

8-4. 人材育成と継続的イノベーション

映画配給ビジネスは常に新しい作品・新しいテクノロジーが生まれ続ける変化の激しい業界です。M&A後の新体制においても、優秀な人材の流出を防ぐためのキャリアパスの整備や報酬制度の見直しなど、人材マネジメントが欠かせません。さらに、配給と配信の融合が進む中で、デジタルマーケティングやデータ分析など、新たな専門性を持った人材の獲得と育成が重要となっています。継続的にイノベーションを生み出す組織風土を維持することが、長期的な成功の鍵となるでしょう。


第9章 今後のトレンドと展望

9-1. ストリーミングサービスによる再編の加速

Netflix、Amazon Prime Video、Disney+をはじめとする大手ストリーミングプラットフォームの存在感は、今後も高まると予想されます。これらのプラットフォームは国境を越えたコンテンツ配信を可能にするため、グローバル規模での競争が激化します。映画配給会社としては、配信向けの権利ビジネスをどのように強化するか、あるいは自社プラットフォームを強化して垂直統合を進めるか、といった選択が迫られるでしょう。ここでもM&Aは有力な戦略手段となる可能性が高いです。

9-2. 地域密着型配給会社の統合

巨大企業による寡占化が進む一方で、ローカルコンテンツやインディペンデント作品を扱う地域密着型の配給会社も存在感を高めています。独自のネットワークとコミュニティに根ざしたファンベースを強みに、ニッチなジャンルで高い評価を得るケースも多いです。今後は、大手がそうした地域密着型企業を買収し、ローカル市場にも深く踏み込む動きが考えられます。逆に地域密着型同士で合併し、国際的な相互配給体制を築くケースもあり得るでしょう。

9-3. IPビジネスとの融合

映画配給会社が保有するIP(知的財産)を活用した商品展開やイベント事業、ゲーム化などのマルチメディア戦略はますます重要になります。企業が大きなIPポートフォリオを保持している場合、そのIPを活用した統合マーケティング戦略を強化するために、ゲーム会社やイベント企画会社とのM&Aを進める可能性もあります。従来の映画ビジネスの枠を超えて、総合エンターテインメント・プラットフォームを目指す動きは、今後さらに加速すると見られます。

9-4. メタバースやVR領域への進出

近年話題となっているメタバースやVR(仮想現実)技術など、新たな次元のエンターテインメントが注目を浴びています。映画配給会社がこれらの新領域に進出する際、専門技術やプラットフォームを持つ企業とのM&Aや提携が有力なオプションとなります。メタバース上で映画関連イベントを開催したり、VR映画の配給ビジネスを構築したりと、映画体験そのものを変化させる動きが出てくるかもしれません。


第10章 まとめと今後の課題

映画配給業界におけるM&Aは、コンテンツの獲得競争やデジタル配信の普及、グローバル化などの要因を背景に、これからも活発化していくと考えられます。既にハリウッド大手スタジオや国際的なメガプラットフォーマーによる大規模買収が実施されており、その影響は映画ビジネスのみならず、エンターテインメント産業全体の構造を変革するほどのインパクトを持ち得ます。

一方で、M&Aには企業文化の衝突や財務リスクの増大、規制当局による審査など、多くの課題・リスクが伴います。特に映画配給会社はクリエイティブな要素が強い組織であり、人材やブランドをどのように引き継ぎ活用していくかが成功の鍵です。統合プロセスの設計や人材マネジメントの巧拙によって、期待されたシナジー効果が得られないまま終わる可能性もあるでしょう。

しかし、今後の映画・映像コンテンツ産業を取り巻く環境は、ストリーミングプラットフォームのさらなる台頭や消費者ニーズの多様化など、ますます変化のスピードを上げています。このような時代においては、単独での生き残りを図るよりも、M&Aや戦略的な提携を通じて経営資源を補完し合うことが合理的な選択となる場合が少なくありません。映画配給企業が持つ独自の強みと、他領域の企業が持つ技術やリソースが掛け合わされることで、新たなイノベーションが生まれる余地は十分にあります。

今後の映画配給業界は、規模の拡大やコンテンツライブラリーの充実だけでなく、デジタル領域での競争力をいかに確保するかがカギを握るといえます。メタバースやVRなど、新たな視聴体験を提供する技術との連携も含め、配給とテクノロジーの融合が加速していくでしょう。その過程で、M&Aは引き続き中心的なトピックとなり、多様な形態とスキームが模索されていくはずです。

最終的には、作品の質と観客の満足度こそが映画ビジネスの根幹であり、どのようなM&A戦略をとるにしても、それがクリエイターの創造力を最大限に引き出し、魅力的な映画体験を継続的に提供する体制づくりにつながっているかが問われます。巨大資本による一極集中が進む中で、独立系企業や地域密着型企業が持つ多様性をいかに活かすかも、今後の映画業界全体の活力を左右する重要な要素となるでしょう。